東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1808号 判決 1979年3月08日
控訴人 野村真造
右訴訟代理人弁護士 相沢岩雄
同 石島泰
被控訴人 清水宏一
右訴訟代理人弁護士 宮澤増三郎
同 宮澤建治
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 当事者の求めた裁判
1 控訴人
「原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」
との判決
2 被控訴人
控訴棄却の判決
二 当事者の主張
原判決事実摘示欄の二ないし四に記載されたところと同一であるから、これを引用する。
三 証拠関係《省略》
理由
一 控訴人と被控訴人との間に本件債務名義たる公正証書が存在し、右公正証書には、控訴人が被控訴人に対し、昭和四五年三月二八日に三〇〇万円を、弁済期同年六月三〇日、利息年一割五分、遅延損害金年三割の約定で貸渡したにつき、被控訴人が右債務を履行することを諾約した旨並びに被控訴人が右債務を履行しないときは、直ちに強制執行を受けても異議がないことを認諾した旨の記載があることは、当事者間に争いがない。
二 そこで、右公正証書に記載のとおり控訴人が、昭和四五年三月二八日被控訴人に三〇〇万円を貸与したとする控訴人の主張の当否について検討する。
1 まず、①前述のとおり本件公正証書には、被控訴人が控訴人主張の消費貸借契約にもとづき、金三〇〇万円を受領したと陳述した旨の記載があり、②乙一号証の二(右公正証書作成に関する委任状)には、印刷された不動文字により公正証書作成嘱託に関する一切の権限を委任する旨の記載があるほか、同書面中貸借金欄の「三〇〇万円」なる記載及び貸付年月日と作成年月日欄の「昭和四五年三月二八日」との記載部分の成立並びに作成名義人たる被控訴人及び清水すみの各署名押印が被控訴人によってなされたことにつき当事者間に争いがなく、③被控訴人の氏名が同人の自署によるものでその名下の印影が同人の印章によるものであることにつき当事者間に争いのない乙九号証(領収書)には、被控訴人が昭和四五年三月二八日に三〇〇万円を領収した旨の記載があり、④原審における証人野村秀子(第一、二回)の証言により同人が記入したと認められる乙三号証(控訴人の貸付元帳)中には、昭和四五年三月二八日被控訴人に三〇〇万円が公正証書をもって貸付けられた旨の記載があり、さらに⑤原審における証人田原強(第一回)、同野村秀子(第一、二回)の各証言、原審(第一ないし三回)及び当審における控訴人本人尋問の結果中には、控訴人の前記主張に副う供述部分がある。
これら事実及び証拠関係からすれば、本件公正証書に記載のとおり昭和四五年三月二八日控訴人から被控訴人に三〇〇万円が貸与されたことを認めるに十分であるかの如くである。
2 しかしながら、本件証拠を仔細に検討するに、次の諸点を見のがすことができない。
(一) 《証拠省略》によれば、「被控訴人は、昭和四一年に、それまで「ふおるむ」なる商号で画材商を営んでいた父が死亡したのでその経営を引き継いだが、かねて、取引金融機関である長野信用金庫石堂支店から約七〇〇万円の、また八十二銀行駅前支店から約三五〇万円の融資を受けていたところ、同銀行に対する手形上の債務八〇万円について遅くとも昭和四五年三月一六日までに決済を迫られ、その対策に苦慮していたが、たまたま白川年一の紹介により、金融業者である控訴人を知り、同月一六日同人より八〇万円を弁済期同年四月一六日の約で借り受けて右銀行の決済に当てたものの、そのころ控訴人から根抵当権の設定があれば、その限度内でいつでも融資がえられるので、根抵当権の設定をしてはどうかとの申出があり、このさき同人からも融資がえられることは好都合であると考え、右申出に応じ、控訴人との間に同年三月二八日被控訴人の母清水すみ所有の宅地及び建物につき、債権者を控訴人、債務者を被控訴人、連帯保証人兼担保提供者を清水すみとし、継続的金銭消費貸借契約、手形割引、手形貸付契約上の債権担保のため、元本極度額三〇〇万円の根抵当権を設定する旨の契約を締結し、同日受付によるその旨の根抵当権設定登記(順位四番)を経由した。」との事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。ところで、控訴人が昭和四五年三月二八日被控訴人に金三〇〇万円を交付したとの控訴人の前記主張が真実であるとすれば、右のとおり根抵当権設定契約と同時にその元本極度額に相当する金員の全額が貸与されたこととなるが、これは根抵当権取引の常態からみていささか異様の感をぬぐいえないのであり、また将来の継続的貸借を予想もしくは期待して右契約をするに至った当事者の意図にも反している。そればかりでなく、控訴人と被控訴人とは、前認定のとおり同年三月一六日に八〇万円の貸借が行われるまでは取引はもとより、殆んど面識すらもなかったのであり、また当時被控訴人の営業状態や資産関係について控訴人が充分信をおくほどのものがあったことを窺わせる情況もみられないうえ、右八〇万円の弁済期が遠からず到来する事情にあったことからすると、新たに三〇〇万円を貸与するからには、これと同時に設定された根抵当権の元本極度額を、右三〇〇万円と八〇万円の合算額である三八〇万円もしくはそれを超える額にするとか、これを三〇〇万円にとどめるのであれば、新たに貸与する額を、ひとまず右三〇〇万円から八〇万円を控除した二二〇万円の範囲にとどめるのが取引上自然のなりゆきであり、そうでない以上、それについて首肯するに足りる特段の事情があるべきであり、仮にそうでなくとも前記のような事実関係からすれば、根抵当権設定契約に際し、右八〇万円を根抵当権との関係でいかように取扱うかについて具体的な交渉が行われてしかるべきところ、これがなされたことを窺わせる証拠はないのである。
(二) 《証拠省略》によれば、控訴人方では、事務員として田原強が昭和三八年ころ雇傭されて以来貸金業務全般の事務を補助し、時折控訴人の妻野村秀子が事務に関与するほかは他に職員がいなかったことが認められ、この認定に反する証拠はないところ、右田原は、原審における第一回の証人尋問において、「控訴人は、昭和四五年三月二八日同人の事務所において被控訴人に三〇〇万円を、現金をもって貸渡したが、自分はその場に同席しこれを現認している。」旨控訴人の主張に副う証言をしたが、原審における第二回の証人尋問においては、「右は控訴人から使嗾されてした虚偽の供述であり、真実は三〇〇万円の交付を現認しておらず、また控訴人からこれまでそのような貸付がなされた旨の報告はなかったこと、さらに公正証書作成の委任状(乙一号証の二)や領収書(乙九号証)に三〇〇万円と記載されているのは、控訴人の指示により根抵当権の元本極度額である三〇〇万円と一致させるためにしたものであり、このようなことから、当時三〇〇万円が貸付けられた事実はない。」旨前供述をひるがえす内容の証言をし、当審においてもこれとほぼ同趣旨の証言をし、同人の後者の証言内容がすべて真実であるか否かはともかくとして、控訴人の主張に副う同証人の前記証言部分はたやすく信用することができない。
(三) 本件公正証書記載の貸借が成立したとされる昭和四五年三月二八日より後の控訴人と被控訴人間の貸借関係をみるに、被控訴人がその本人尋問において自認するものだけで、同年五月二六日三〇万円、同年六月二八日三二万五〇〇〇円、同年一〇月一五日三〇万円が控訴人から被控訴人に貸付けられている(なお控訴人は、その本人尋問において、そのほか同年一一月二八日五〇万円の貸付があった旨供述する。)のであるが、もし仮に三〇〇万円の貸付がなされていたものとすれば、右三〇〇万円の貸付金がその後返済されていない(この点は弁論の全趣旨からして明らかである。)ことからみて、前記の各貸付分は本件公正証書による貸付金の範囲外のものであることはもとより、根抵当権の極度額を超過した後の貸付ということになるのであって、甚だ奇異な感を免れないのであるが、これを首肯するに足りる特別な事情を窺わせる証拠はない。
(四) 三〇〇万円という金額は、当時の被控訴人の営業状態からみて相当多額であり、同人が当時八〇万円のほかにこのような多額の金員を必要とするにいたった具体的事情は、本件の全証拠を検討しても明らかではなく、仮にこのような事情を控訴人において明らかにすることが困難であるとしても、被控訴人の営業状態やそれまで殆んど接触のなかった両者の関係からすれば、控訴人において三〇〇万円にのぼる金員を貸付けるからには、その金員の使途をはじめ営業や資産状況について詳細な事情を聴取したと考えられるところ、この点についての控訴人本人尋問中の供述は甚だ具体性に乏しいばかりでなく、原審における供述内容と当審におけるそれとの間には明らかな差異がみられる。
(五) 《証拠省略》に徴すると、被控訴人が田原強に対し、公正証書作成の嘱託を委任したことは否定できないにしても、《証拠省略》からすると、右乙一号証の二及び前出乙九号証中の「三〇〇万円」の記載は、根抵当権設定契約によって定められた元本極度額と同一の金額として書類上の記載を統一するためにしたに過ぎずこれがただちに公正証書作成に用いられうることにまで思いいたらなかったものと考えられ、従って三〇〇万円の貸与そのものに対する右各書面の証明力は薄弱であるといわざるをえない。
(六) 前掲証人野村秀子の証言によると、乙三号証は、同人が記載したものであることが認められるが、《証拠省略》を合せ検討すると、同号証中昭和四五年三月二八日の三〇〇万円貸付の記載は、本件公正証書又はその作成嘱託の委任状に三〇〇万円との記載があったことから、これに基づいてなされたと認められ、しかも本件訴訟提起後に記載されたのではなかろうかとの疑いを拭い去ることはできないから、それ自体として控訴人の主張の裏付けと評価することは困難である。
3 以上(一)ないし(六)に記載の諸点と《証拠省略》とを合せ考えると、前2に摘示の各証拠及び事実をもってしても控訴人が昭和四五年三月二八日被控訴人に対し三〇〇万円の貸付をしたとの事実を認定するにはなお合理的な疑いを払拭することができないのであり、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、控訴人の前記主張は採用できない。
三 以上のとおりであるから、本件公正証書の執行力の排除を求める被控訴人の請求は、理由があり、これを認容した原判決は相当であって本件控訴は理由がない。
よって本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石川義夫 裁判官 高木積夫 清野寛甫)